こんにちは!
コーチのみやこです。
新しい年が始まりましたね。
カレンダーが新しくなるだけじゃない?と思いつつ、
やはり年明けを迎える時は何だか背筋が伸びて、
違ったことに挑戦したくなるような気がしてしまいます。
今年はどんな一年にしようかな…
その前に去年の振り返りをしてみようと思い
年末に手帳をめくってみたら、
書き留めておいたある言葉がみつかりました。
『子どもは対等の存在である』
この言葉、今では私の宝物です。
言うこときかないこどもにイラッとしたり、
そのイライラをついガミガミ叱ることで
子どもにぶつけてしまったことありませんか?
あるいは良かれと思って
いろいろ手を出したり口を出したり
先回りして面倒みたり、
たくさんやってました私も。
ここでちょっと対象を変えて想像してみて下さい。
例えば相手が自分の友人だったとしたら、
いきなり怒り出したり手を出したりしませんよね?
少なくとも、
やっていい?とか、
それこうしたらうまくいくんじゃない?
などと事前に確認するとかしませんか?
それなのに相手が自分の子どもになると
途端にそうした対応が出来なくなるのはなぜでしょう?
ここで先程のことば、
『子どもは対等の存在』
を思い出してみて下さい。
これは子どもと接する人の
大前提の姿勢について表してます。
ガミガミ叱るのも先回りしてしまうのも、
根っこにはもちろん愛情があるから。
大切な存在だから、注意したり守りたくなる。
私は経験があるから私の言った通りにしなさい、
しんどい思いしないで済むような道に進んでほしいし、
何より私はあなたの親なんだから!などなど、
相手のためと思ってのあれやこれや。
でもこれって対等な相手にすることかしら?
もしかして私、
ちょっと上から目線で
子どもたちに接していたんじゃない?
それを気付かせてくれたのが、
あの言葉でした!
子どもには、自分で選んだり、失敗して学んだり、
悔しい思いをした結果
そこから立ち上がる力がついたり、
そんな経験をする権利があると思うんです。
私達は共感して見守る。
子どもたちの経験するチャンスを奪わず、
でも失敗したり辛い時は
そばにいて一緒に受け止める。
あなたは何にだってなれるよ、
何だって出来るよ、と信じる。
でも、頭ではわかっていても
長年染み付いてしまった思考を変えるのは
本当に難しいですね。
だから書き留めておいて時々見返していましたが、
年末また目にした時に
改めて自分のスタート地点を確認する
良い機会になりました。
子どもにはしょっちゅう、
テストの振り返りしなさーい
なんて言ってますけどね^^;
自分も折に触れ、我が身を振り返らねば!
最後までお読み下さりありがとうございました。